私の宗教的立場

今更ですが、私の宗教的立場を明言しておきたいと思います。

何か哲学的、思想的な事を語るにあたってはどの立場から述べているかというのは重要だと思いますので。

私は無神論者です。無論宗教を信仰しておりません。また、初詣も行きません、行く意義を感じないからです。しかし、そうせざるを得ない場合には行きます。無神論者の中には宗教施設にはいかなる理由があろうとも死んでも行かない、行ってはならないと言う方もいらっしゃいますが、それはそれで宗教じみていると私は思います。というのも本当の無神論者にとっては神社だろうが寺だろうが教会だろうがただの建物でしか有りません。どうでもいいただの建物なのです。面倒くさくとも行かなければならない理由が有るのならば行くべきだと私は思います、むしろ然るべき理由があるならば嫌がる理由がありません。

また、無神論者や無宗教者には色んな立場が有りますが、無宗教者とは言っても神の実在を信じている者もいるでしょう。私は神の実在を信じていないのでこの類の人種ではありません。と言うよりも、そもそも神というものは歴史を辿れば人間が話として作り上げたものであるという事はまず紛れもない事実であります。何故それで神を実在すると信じれるのでしょうか?馬鹿げています。

宗教にも同じことが言え、(ここはいつか詳しく道徳と共に解説したいが)結局の所ある一部の人々はそう考えていますよ、こういう価値観ですよと、それだけに過ぎず、それは言わば好き嫌いの問題でしかありません。で有れば、宗教を信じるという事は好き嫌いを他者の価値観ではかる事になり、それを強制する事はこれもまた馬鹿げています。そこまで強く批判はしませんが、決して宗教は真理ではありません。あくまで形式上のものでしかなく、さらに言えば道徳も宗教と類似しており、あえて言うならば欺瞞なのです。

ですから、私は無神論者であり、道徳にも懐疑的である相対論者と言う事になるでしょうか?


秋葉原無差別殺傷事件(加藤の乱)から10年

秋葉原無差別殺傷事件から10年が経つ。

加藤はよく2ちゃんねる掲示板で書き込みをしていたが、そこでは自分は1人だと38回書き込み、彼女というものについては42回書き込み、不細工という事については22回書き込んでいたという。

秋葉原無差別殺傷事件 モテない

と打ち込んで調べると某まとめサイトでその様な記事が見られた。

また、その掲示板では加藤に対してある1人の(本当に女性かはわからないが)女性が中卒の私ですら大卒の彼氏が居るから頑張ってと励ましたそうである。


ここからは俺が思った事を述べたいと思う。

まず、加藤は元々厳しい家庭で育ったのであり、勉強は出来たのだ。しかし、彼が(恐らくそこまで思考が追いついていなかったが)求めていたのは学力では無かったのではないだろうか。

彼は女性がやはり男性の学歴に執着するのだと上記の中卒の女性の話を結論付けていたが、本当に学歴だけでモテるのだろうか?

彼自身本当は学歴がモテないことの本質では無いと気付いていたのではないか。

自身の容姿について多く書き込んでいることからそれがうかがえる。

それに実際の所低学歴であろうが所謂DQNという層(男の)が多く早くから結婚、未成年性交しているという点でやはり、容姿が重要では無いだろうか。

また、はっきり言って女性の低学歴は関係が無いと俺は思う。容姿が良いもしくは普通である女性ならばいくらでも男性がやってくるだろうし、率直に言わせてもらうが、ヤレれば問題は無いわけである。(又、男性の学歴の優劣が本当に重要かという話は前に少しだけ触れたが、また今度長くなるので解説する)

結局の所学歴と言うものはただの記号でしか無い。

いずれにせよ加藤が社会に対する恨み、親に対する恨み、そして、容姿によりモテないことの恨みがあったのだ。

このルサンチマンを加藤は秋葉原で晴らした。

であるから、未だに2ちゃんねるでは加藤の乱などと言われ一部では英雄とされているのだ。

2ちゃんねるには数多くの容姿に劣り、不利益を受けてきた男がいるが、彼だけが反抗した。彼なりの手段で。

私は行動した彼を勇気ある人間だと思うが、1つ疑問に思う所がある。

まず、モテないのなら、殺人を犯すのではなく、なぜ女(少女も)を犯さなかったのか。

そちらの方がよっぽど自分の利益にならないだろうか?

殺人を犯すのはその後(どうにもならなくなった時など)でも問題はなかったはずだ。


そう。結局の所、彼は自身の本当にしたい事が出来ていないのだ。きっと思想的にそこまでありつけなかったのだ。

殺人は、手段でしか無い。

自分が本当にしたい事、得たいものを見つめ計画を練る事が重要だ。

そして、道徳を捨て自分の本当にしたい事を探し、実行する。

デメリット(社会的制裁、法罰)をメリットが上回ったならば欺瞞である道徳、形式でしか無い法に従う理由はない。

そこまで思想的に加藤が行っていたならばもっと大した人物になっていただろう。

しかし、彼の反抗の意志は受け継がれている今回あった新幹線での切りつけ事件のように。

私は私で自分のしたい事のためにいつになるかは私が決めるが、実行するつもりだ。

世の中には色々な生き方があるが

こんにちは田所浩二です。

この日本社会は様々な生き方があると思います。昨日知人と話をする機会があったのですが、彼は子どもと接する(変な意味ではなく)のが本当に好きで凄く子どもが可愛く(変な意味ではなく)思えるそうです。又、気持ちだけでは無く実際にボランティアをしたりだとか、体験活動先の学校で精力的に工夫して教えているそうで、校長や先生方からの信頼も厚いそうです。校長には私が採用試験の勉強、面接を手伝ったり、教えてやると言われたり、この学校で実習生として取ってやると言われたり、色々とウマがあったようです。

それ以外にも体験活動中に色々と厚遇してくれたそうです。

それに対して私は体験活動中は学校は違うのですが、冷遇されていたように思えます。

例えば、普通男性の体験活動生の給食はかなり非常識なほど多いのですが、私は少なかったりとか、あと、業後にコメントを書き込み担任の先生に見てもらうのですが、それも全く反応がなかったりだとか。

その差は何なのか考えたのですが、結局子どもに対する熱意、接する事自体を楽しいと思えるかだと思います。

私はある種世間一般的に言うロリコンでもある(普通に若い女性熟女もいけるが)のでこの仕事に興味を持ったが実際の所彼の様な熱意が無く、具体的に子どもに対して支援が出来なかった、しようと思わなかったからだと考察しました。

私にとって社会的に成功してもJCJKと性交出来ないこと、容姿が悪ければ素人とヤりずらくなる事は大きな問題、不満であっても彼の様な人間にとってはそんな事はどうでもよく、子どもが大切なのでしょう。

ならば、私は私の本当に興味のある分野、精力的に頑張れる分野での大成を目指そうと思いました。

少子化の欺瞞 本当に金が問題か?

今日本は少子高齢社会となっており、このまま行けば非常に厳しい未来がこの国にとって待ち受けていることは火を見るより明らかであることは誰もが理解していることだろう。

若者は高齢者が居なくなれば解決すると言い。(高齢者が居なくなった後は?根本的な少子化の対策は?)

政治家は金銭的補助をすれば解決すると言う。

ここで私は政治家達の金銭的補助をするだけで少子化問題が解決すると言う考えに疑問を呈したい。

これはシンガポールの元首相の日本の少子化対策に対する批評だ。

http://amp.alfalfalfa.com/articles/221458.html?__twitter_impression=true

私は全くもってそうだと思った。

確かに人生において、家庭を築くにあたって金銭は大切だろう。

しかし、それよりも少子化を推し進めて来たのは実のところ市井の一般市民そのものでは無いだろうか。

つまり、社会的価値観(個人の価値観でもある)である。

女性は社会に出て働く事が推奨され、国も不公平なやり方をしてでもそれを推し進めて来た。(雇用枠、大学採用枠など)

であれば当然の事ながら多くの女性は男性に頼らずとも生きて行くことが出来ようになる。

又、メディアは容姿至上主義、恋愛至上主義を掲げる。自立した女性を高い価値とする。

そうなれば女性達は自分で稼げるのだから容姿に優れた男性(顔、身長など)を学歴、職に(個人差、限度は多少はあるが)関係なく求めるようになる。

そう...つまるところ容姿に劣った男性は努力をしても女性を得ずらくなるのである。


まあ、この容姿の格差の話は別にするとして、女性の社会進出(価値観の変化)が少子化を進めたというのは(色々な反論はあるが)数字として、西洋社会を見るに「事実」であるのだから(移民による増加は数えない)事実は事実として私は認めるべきであると思う。

昨今の日本、西洋社会では事実であっても事実と認める事が社会的に許されない風潮がある。

これでは解決できる問題も解決出来ない。

建前に縋って事実を否定し国を衰退させるのは議会としてどうだろうか?

私は少なくとも彼ら(政治家など)の言う道徳的な人間では無いかも知れないが、少なくとも真理に対する誠実さでは彼等よりも優れていると自負できる。




更新間隔について

こんにちは田所浩二です。

このブログの記事の更新間隔についてなのですが、不定期としたいと思います。

ただ、あまり間隔が開かないようにはしたいと思っております。

ブログの記事の特性上申し訳ありません。