何故そこまでして一般道徳・法に従うのか

容姿に劣ったものが女(特に18以下の者)を得ることが出来ない。

今の世の中(少なくとも日本社会)はそう出来ている。

それは事実として認めなくてはならない。

だが、事実を事実と認めてからどうするかが人生において大切ではないだろうか?

はっきり言って容姿(身長顔など)で学生時代の同級生、先輩、後輩との性交体験の有無が決まるのならばどれだけ勉学に取り組んでも割に合わない。

何故ならば勉学に励み大成したとして高校生中学生との性交は犯罪になるからだ。

そこで私はどうするか?

この事実を事実と認める。

非常に心苦しく、私にとって不都合な事実だが、受け入れる。

しかし、受け入れる事、現実を受容するからといって何もしないわけではない。

ならば、私は犯罪に手を染めてまでもそれを手に入れる。これが私の選択だ。

そもそもそれぞれ個人の好き嫌い、そう思うか思わないかというものがあり、その総体が道徳というものだ。はっきり言って真理でもなんでもない。俺は一般道徳ではこうだけどでも、そう思わないと思ったならばそこで話は終わりである。

何故そのようなものに従って...自らを格差を強制的に甘んじて受け入れ叛逆せず、奴隷のようにしなければならないのか?

私は甚だ疑問に思う。

ただ誤解を招かないよう言っておきたいが私は所謂一般的な道徳というものは「理解」している。私は勿論、義務教育を受けてきたし、高等学校、大学でも現在学んでいる。学が無いわけではない。ちゃんとした教育を受けてきた。

何が悪い事で善い事なのかの分別はついている。

しかし、道徳は「理解」しているが、私は犯罪になったとしてもそれが悪だと分かっていてもそれを手に入れる。

無論、それによる不利益も考慮している。(逮捕、社会的制裁など)

しかし、総合的に考えた上でそれでも私は私自身のメリットの為に法と道徳を犯す。

こう言う生き方もあるのだ。