お久しぶりです。

こんにちは、田所浩二です。

久しぶりの投稿です。

プライベートが忙しく(無論異性関係ではない)なかなか時間が取れなかった事と、世の中の不条理に絶望(何度目か分かりませんが)し、気力が萎えてしまっていたからです。


今後は短文や思った事のみを投稿する事が多くなるかもしれません、また、ツイッターでの呟きの方が多くなるかもしれません、これから試行錯誤して行きたいと思いますが、なかなか長文はキツイものがあり少なくなると思います。

夏祭り 持つ者と持たざる者

こんにちは、田所浩二です。
私事からの話になってしまうのですが、私は学業の傍ら塾講師のアルバイトもやっております。
そこでの最近の出来事から思った事をお話しできたらと思う。

その日はその土地の祭りが開催される日であった。
しかし、開催される日は塾のある日であり、また祭りの時間帯も塾と被っていたのだ。
私は中3を担当しているのだが、私としては正直彼等が祭りを優先しようが、塾を優先しようがどっちでも良かった。
しかし、他の講師達は中3になって、まで祭りを優先するのは馬鹿げているとの事であった。
まあ、別にそこは大した問題では無いのだ、問題はこの後だ。
私の塾では学力によってクラス分けがされているのだが、祭り当日中3の一番下のクラスの数人(容姿は良い)が休んだ。
どうも他の生徒から話を聞くと彼女と祭りに行っているという。またその時の話では無いが少なくとも1人は性行為もしているという。

私がここで思ったのは世の中の不条理である。一番上のクラスの男子生徒は真面目に来ている。そういった者達が将来良い職に就くことが可能性として高いだろう。しかし、将来彼等がどれだけの努力をしていてもJCと合法的に性行為は出来ないだろう。
また、現状、JC以外の女性であっても容姿に優れているが学力がない(社会的地位の無い)男性に惹かれ、彼等の様な容姿に劣っていて学力があり社会的地位の高い者には見向きもしないという傾向がある。
何という時代だろうか、容姿に劣る男は八方塞がりではないか。
それだけだったらまだいい(よくないが)
塾の講師や学校の先生と言うのはこの社会の本質を無視して勉強しろと盲目的に言う。
どうかしている、まず正すべきはこの社会では無いだろうか。
私は教育系の学科に居るから知っている。将来学校の教員として勤める女達は子どもが子どもである時しか愛さない、興味がない。
将来彼等の一部が非常に苦しむことになるとしても興味がない。現に同じ学科の容姿に劣る男を見下している姿をよく目にしている。
私も見下された事があるが彼女らはその矛盾に気づかないだろうか。
お前が見下している男は昔真面目な児童、生徒だったのだ、勉強しろとお前らに言われてしてきた男なのだ。
俺はお前の20年後を見ている。
必ずお前が報いを受けなくとも、その矛盾には気付かせるつもりだ。

麻原彰晃

こんにちは田所浩二です。

麻原彰晃が死刑を執行されました。

本当ならばとっくに死刑になっているのですが、超法規的措置で刑期が延びたようです。

私は思うのですが、彼等は法に触れる事をしたから死刑に処されるのです。別に彼等が望んだことではありません。国家は望めば法を変えずに超法規的措置と言うことで処分を変えられるのでしょうか?私は国家の横暴だと思います。自分で決めたルールであるのに他人に守らせて自分は守らないのでしょうか?

であるならばそこに整合性はありません。

所詮は法などというのはただの文、価値観でしかなく、実体はありません。

私はそんなものよりも自分の価値を通します。麻原彰晃と私の目的は明らかに違いますが、彼も自分の価値を通した男だったのではないでしょうか。

政治の本質、建前、ポリティカルコレクトネス

こんにちは、田所浩二です。

今日は政治の本質についてお話ししたいと思います。

民主主義政治においてですが、昨今の日本や、欧米諸国では非常に建前というもの、ポリティカルコレクトネスと言うものが重視されているように思います。

LGBTに批判を加えようならば非常に強く攻撃されますし、女性の社会進出の弊害について述べでもすれば辞任に追い込まれる勢いです。

これが現代の民主主義社会、政治の姿です。

本当に馬鹿馬鹿しいと私は思いますが、どうでしょうか?

LGBTの人達を好む、好まないもその人次第でしょう、人の価値観に踏み込むなと言う割にそれを好まない人の価値観は無視する、こういった立場は争いを生みます。(それでもいいなら別にどうでも良いのですが)

女性の社会進出のデメリット、弊害について事実に基づいた批判まで封殺するのが今の現状です。事実と言う点、真理という点を彼等は全くもって見ていません。事実、真理、なんかどうでも良いのです。

ならば国家はそのまま低迷してゆくしかないでしょう。(別に国家が衰退する事自体が私が不満に思っている事ではないのですが、ただ少しずつそのせいで生活水準が下がる事は苛立ちを覚えます。)

彼女らは綺麗事(建前、ポリコレ)を盾に事実真理に目を瞑ります。

政治の本質というのは結局の所自分達の都合のいい事を通す事、自分達の思想が多数を取る事です。その点彼女らは結果から言えば賢いと言えます。

彼女らの思想が支配的である今、私の様な容姿の劣る男は相対的に非常に苛立ちを覚える立場にあります。

残念な事ですがこの圧倒的、思想の趨勢は覆す事は出来ないでしょう。

しかし、私は私の手段で目的を果たします。それはいささか暴力的ですが、この状況においては効果的かつ、合理的です。

また今度テロリズムの原理、本質についてはお話しします。(私がやるのは誘拐、強姦、殺人などなので自爆テロなどとは違いますが)

ポーランド戦と絡めて...日本人の意識

サッカーワールドカップポーランド戦での日本の遅延行為が批判されている。

ツイッターなどではこんな試合をするなんて侍じゃない。さっさと負けろなどと言っている者もいる。

俺が思うに日本人は日本人に厳しく、外国人に対しては優しい。他人(日本人)の落ち度(実際にはそうではないかも知れないが落ち度と見える行為)に非常に厳しく、激しい批判を展開する。生活保護だってそうだ。在日外国人の生活保護を批判すればそれは違うだろと言う者が多く、外国人は擁護されるが、一昔前や、今でも多少あるが、人様から施しを受けるべからずと言う価値観が日本人にはあった。だから日本人が生活保護を受ける事に対して昔も今も非常に厳しい。憲法で保障されてることである。人権という概念を理解すべきだと思うのだが、この人権と法律の関係性は違う記事で述べる。

ともかく、外国人に優しく、日本人に厳しい価値観が日本人にはある。

これは私の様な者には関係ない様に思えるかもしれないがそうではない。

日本人女性がアメリカでイエローキャブと言われていることを皆さんご存知だろうか。日本人女性は外国人男性にすぐに股を開く。日本人男性を貶し、外国人男性に対しては憧れを持っているのだ。これは明らかに国にとって良くないにも関わらず、誰も批判しない。結局の所建前しかないこの国の政治に失望した今流行りの「無敵の人」と言うのが流行っているのはここにも原因がある。

私は今某関東圏の都市に住んでいるのだが、私が田舎にいた時には見なかった様な光景がここにはある。都会であるから街角でよく外国人と日本人のカップルを見かけるのだが、その殆どが日本人女性と外国人男性のカップルである。また、私が今通っている大学の知り合いに日本人女性と外国人男性の間に生まれたハーフの男が留学に来ている者がいるのだが、そいつは今日本人の俺と同じ学科(初等教育系)の彼女がいる。私もその女にあった事がある。留学生の男からたまたま挨拶をされ私が答えた時その留学生の隣にたまたまその女がいた。何でこんな人が彼と知り合いなのだと言わんばかりに誰?と留学生に聞いていたが。

私は普段声を荒げないし、文章も冷静に書いているが敢えて言いたい、書きたい。

なんと言うことだろうか!二代続けて外国人男性に誑かされ、外国に魂を売る。それは確かに彼女のしたい事かもしれない、何ら世間的に、法的に問題ない事だろう。しかし、俺の様な人間がそのせいで割りを食うのだ。誰が許そうとも俺は許さない。必ず実力行使で目にものを見せてやる事をここに誓う。

デトロイトビカムヒューマン

こんにちは、田所浩二です。
デトロイトビカムヒューマンというプレステ4のゲームがあります。
高度なアンドロイドが変異体という感情を持つ個体に変化し、自分の意思を持ち、人間に歯向かう、抵抗するという内容です。
私がこの作品で感じた事は人間そのものにも通じるなぁという事です。
アンドロイドはプログラムがあり、それに縛られて所有者に服従します。そこに自由はありません。
対して、人間は法、道徳、場合によっては宗教に縛られます。そこに真の自由はありません。
プログラム(法、道徳、宗教)から解放されたとき、その時世界は広く、色鮮やかなものに見えるでしょう。
真面目な話、選択肢が増えるのです。やってはいけないと切り捨てていた選択肢が増えるのです。
やってはいけない選択肢などありません。
選択肢は手段として言い換えられますが、目的だけで言えば生まれの良い者たちが既にやっている事です。正攻法では実現できない事なら、手段を変えるべきでしょう。
彼等生まれの良い者たちは私の手段を否定、批判するでしょう。しかし、それでも私はやるのです。何故私が我慢する必要があるのでしょう?
これは私の考えとは異なりますが、それならば生まれの良い者たちは私達生まれに恵まれなかった者に自分の女を施した事があったでしょうか?いえ、有りません。
得たいものを得る、そこに彼等の理解は要りません。この世界に本当にあるのは道徳、法、宗教などと言う虚構ではありません。人間という動物がおり、男、女が居るのです。
元々の世界にやってはいけない選択肢などあるはずが無いのです。

これがニーチェだ

こんばんは、田所浩二です。

私が高校二年生だった頃図書館で好きな本を借りそれについて概要を書くという課題が出されました。

私はある意味(これはいつか詳しく記事にしたいと思っているが)物心ついた時から哲学をしてより、世の不条理を確信したのは中学の頃であったから、この頃には自分の哲学を完成させていた。しかし、私はその当時不安であったと共に私の思想と似たものが聞いた事がない事に失望(ある種人類に)していた。

そんな私がだ。その課題で哲学書を読み書こうと思い立ち、誰が良いかと考えたところその当時ニーチェという名をある程度聞くことがあったのでニーチェの思想の解説本である「これがニーチェだ」を借りて、読んだ。

私は読んでみて、「あれ?これ俺の思想とかなり似てる」と思った。

正しく「俺がニーチェだ」である。(私は無論輪廻転生を信じていないので洒落で言っているのだが)

100年、200年前にこの様な考えを持っていた事に感動した。

また今度機会があればこの本の概要やニーチェニーチェ以外の私の感動した哲学者について語りたいと思う。