秋葉原無差別殺傷事件(加藤の乱)から10年

秋葉原無差別殺傷事件から10年が経つ。

加藤はよく2ちゃんねる掲示板で書き込みをしていたが、そこでは自分は1人だと38回書き込み、彼女というものについては42回書き込み、不細工という事については22回書き込んでいたという。

秋葉原無差別殺傷事件 モテない

と打ち込んで調べると某まとめサイトでその様な記事が見られた。

また、その掲示板では加藤に対してある1人の(本当に女性かはわからないが)女性が中卒の私ですら大卒の彼氏が居るから頑張ってと励ましたそうである。


ここからは俺が思った事を述べたいと思う。

まず、加藤は元々厳しい家庭で育ったのであり、勉強は出来たのだ。しかし、彼が(恐らくそこまで思考が追いついていなかったが)求めていたのは学力では無かったのではないだろうか。

彼は女性がやはり男性の学歴に執着するのだと上記の中卒の女性の話を結論付けていたが、本当に学歴だけでモテるのだろうか?

彼自身本当は学歴がモテないことの本質では無いと気付いていたのではないか。

自身の容姿について多く書き込んでいることからそれがうかがえる。

それに実際の所低学歴であろうが所謂DQNという層(男の)が多く早くから結婚、未成年性交しているという点でやはり、容姿が重要では無いだろうか。

また、はっきり言って女性の低学歴は関係が無いと俺は思う。容姿が良いもしくは普通である女性ならばいくらでも男性がやってくるだろうし、率直に言わせてもらうが、ヤレれば問題は無いわけである。(又、男性の学歴の優劣が本当に重要かという話は前に少しだけ触れたが、また今度長くなるので解説する)

結局の所学歴と言うものはただの記号でしか無い。

いずれにせよ加藤が社会に対する恨み、親に対する恨み、そして、容姿によりモテないことの恨みがあったのだ。

このルサンチマンを加藤は秋葉原で晴らした。

であるから、未だに2ちゃんねるでは加藤の乱などと言われ一部では英雄とされているのだ。

2ちゃんねるには数多くの容姿に劣り、不利益を受けてきた男がいるが、彼だけが反抗した。彼なりの手段で。

私は行動した彼を勇気ある人間だと思うが、1つ疑問に思う所がある。

まず、モテないのなら、殺人を犯すのではなく、なぜ女(少女も)を犯さなかったのか。

そちらの方がよっぽど自分の利益にならないだろうか?

殺人を犯すのはその後(どうにもならなくなった時など)でも問題はなかったはずだ。


そう。結局の所、彼は自身の本当にしたい事が出来ていないのだ。きっと思想的にそこまでありつけなかったのだ。

殺人は、手段でしか無い。

自分が本当にしたい事、得たいものを見つめ計画を練る事が重要だ。

そして、道徳を捨て自分の本当にしたい事を探し、実行する。

デメリット(社会的制裁、法罰)をメリットが上回ったならば欺瞞である道徳、形式でしか無い法に従う理由はない。

そこまで思想的に加藤が行っていたならばもっと大した人物になっていただろう。

しかし、彼の反抗の意志は受け継がれている今回あった新幹線での切りつけ事件のように。

私は私で自分のしたい事のためにいつになるかは私が決めるが、実行するつもりだ。